2013年7月7日日曜日

聖ピオ10世司祭兄弟会とローマ教皇庁

聖ピオ10司祭兄弟会と4名の司教叙階



ブログ村には聖ピオ10世会を支持する信者さんが多くいるようですので、少し意識した形で、このブログ記事を書いています。最近(昨年)興味を持って記事を読むようになったのですが、聖ピオ10世会問題はデリケートであると感じています。



聖ピオ10世会( Society of Saint Pius X )創立者ルフェーヴル大司教は、ローマとの会合の合意でラッツインガー枢機卿から一人の司教叙階の承認を得ていましたが、合意を破棄して1988年6月に4人の司教叙階を行いました。



その合意文書はフランス原文ですがこちらの英文翻訳されたサイトで確認できます。どうしてこの文書を破棄したのか、正確なことはわかりませんでした。



パウロ6世・ヨハネパウロ2世が公布したミサ典書(新ミサ)や秘跡の典礼がやはり受け入れられなかったのでしょうか?



第2バチカン公会議の教会憲章「Lumen Gentium」を受け入れる宣言をするのは問題ありだと判断したのでしょうか?(ルフェーヴル大司教が合意文書にサインをしたところから考えて、第2バチカン公会議のすべてを否定していたわけではないようです。)



ローマ委員会の構成に問題があると判断したのでしょうか?



一人の司教の叙階では足りないと判断したのでしょうか?



5月になされたルフェーヴル大司教とラッツィンガー枢機卿との合意は破棄され、自動破門へとつながる6月の司教叙階へとつながっていきます。



そして、その4人の司教叙階の日のあいさつ(説教?)の中で、ルフェーヴル大司教自身、管理人の疑問に答えてくれていました。



つまり、議定書にサインをしたと同時に、一通のメモを渡されたルフェーヴル大司教は、そのメモの中で、自らの誤謬を認め、真理に立ち戻るように要求されたのです。



むしろ、公会議教会こそ真理に立ち戻れと主張していたルフェーヴル大司教が、逆の立場で同じことを言われるとは思いもしなかったことでしょう。キリストの王権を否定し、三位一体を否定するようなアシジの集会、典礼文を著しく改悪し、祭壇をテーブルに変え、ファティマの聖母の要求を反故にするような第2バチカン公会議の精神にどっぷりつかったローマ幹部たちから、このような要求を突き付けられたルフェーブル大司教は、合意に至るまでの良い雰囲気とは全く逆であったことに気がついたのでしょう。



以後、ルフェーヴル大司教は、この合意が間違いであったことを認め、ローマが聖伝に立ち戻るまで、自ら聖伝を守るための義務を遂行するのみであること、合意にサインをして、聖ピオ10世会がローマの手に渡していたら間違いなく、生き残ることは不可能であったことを認めたのです。その合意取引をルフェーヴル大司教自身「自殺行為(Operation Suicide)」と表現してみせたのです。



この公会議教会がローマに立ち戻るまで、ルフェーヴル大司教の使命は聖伝を存続させるための司教として、最低4人の司祭を司教に叙階する必要がありました。そうでなければ、カトリック教会を世界で存続させることは不可能だと考えたのです。司祭は司教なくしてありえないわけです。第2バチカン公会議以前まで遂行され続けてきた典礼で叙階することは、カトリック司教の権限でしょう。もちろん、司教叙階はローマの許可が必要ですが、その権限をはく奪することは不可能です。



教皇庁は自動破門の脅しでもって、ルフェーヴル大司教の動きを封じ込めようと躍起になりましたが、ルフェーヴル大司教の意志は不動でした。パウロ6世によって聖職停止の処分を受けた時のように、自動破門の脅しも恐れずに、無視することに決め、司教叙階式を盛大に行ったのです。



3名の司教とウィリアムソン司教



決して、聖ピオ10世会支持者を刺激する目的でこの記事を書いているわけではありませんので、あしからず。



聖公会から改宗した経歴を持つウィリアムソン司教の有名なホロコースト発言で、支持者は肩身の狭い思いをしていたかもしれません。そのウィリアムソン司教が昨年の2012年10月に聖ピオ10世会兄弟会から除名されたのは、周知のとおりですが、ホロコースト発言と何か関係があったのだろうかと、当時はそう思っていました。



しかし、調べるとそうではなかった、ウィリアム司教の総長フェレー司教への公開書簡というのが日本語訳でありますが、この中で、除名の理由は、



  1. 1:「エレイソンコメンツ」を出版し続けたこと。 


  2. 2:SSPXの権威を攻撃したこと。 


  3. 3:独立した使徒職を行使したこと。 


  4. 4:反抗的な同僚(シャザール神父、ファイファー神父等)に援助したこと。 


  5. 5:形式的に、しつこくねばり強い不従順であること。 


  6. 6:SSPXから既に離れていること。 


  7. 7:もはや権威に服従しないこと。


とありました。ウィリアムソン司教はほぼ不従順の理由で除名されたわけですが、なぜ不従順だったのか、それは教義の一致なくして実質合意なしというSSPXの基本方針を変更し、SSPXの幹部が教義上の一致はないものの、実質的一致は可能。と変更したことに危惧を抱いた。SSPXを破滅に導く実質的合意を恐れたウィリアムソン司教は不従順の行動をとらざるを得なかった。



なぜ、不従順の行動をとらざるを得なかったのか?それは、この公開書簡の序盤の司教の回想の中で間接的に語られているように思われます。2000年の大聖年の年に、その力を誇示したSSPXがローマとの和解へ向けて動き出すわけですが、おそらく、この時からウィリアムソン司教は、ローマの甘い誘惑である懐柔策を見て取ったのでしょう、創立者を破門したり、教会を破壊する方向へ仕向けた近代主義ローマが脅していたころから態度を一変させ、それに呼応してSSPX幹部も対決姿勢から融和的な態度に変化させた、このことはウィリアムソン司教にとっては心地よくなかったでしょう。ローマの回心という前提なくしては実質的合意はあり得ないとした創立者ルフェーヴル大司教の態度から逸脱しかかっている現状を、すでに10年前から危惧し、何らかの行動をとっていたのかもしれません。



その後、ウィリアムソン司教は2003年に実りのあるアメリカでの使徒職からアルゼンチンに左遷され、2009年のホロコースト発言で、3年半もの間、ロンドンで司教としての職を果たせずに暮らしていました。それは、司教にとっては屈辱以外に他ならなかったでしょう。もはや必要とされてない存在のように幹部から扱われていたのです。「価値を否定され」という発言は、つまりそのことを言っているのでしょう。



彼にできる抵抗はもはや「エレイソンコメンツ」で執筆し、全世界に発信すること、聖伝を守り、信徒の霊魂を近代主義の影響を極力避けるように訴えること、それしかすることがなかったのでしょうが、その執筆も許されなかったわけです。



日本では、聖ピオ10世会のブログ「Credidimus Caritati」がありますが、掲載されている記事はすべて小野田神父の記事・ないしは聖ピオ10世会関連の翻訳記事がアップされているわけですが、通常通り、問題なくブログが継続されています。しかし、ウィリアムソン司教のエレイソンコメンツが許されないのは、おそらくSSPX幹部の方針を否定する発言があったからなのでしょう、実際、書簡の中盤あたりに、SSPX幹部の「和解策に対する反感を持つことを許されない」とあり、そのため、エレイソン・コメンツをやめるようにSSPX幹部は文書を何度も送っていたという趣旨の記述があります。つまり、方針転換したSSPX幹部の和解策を否定することはいかなる場合でも許されないということになっているわけです。



どれだけの司祭が聖ピオ10世会を去ったのか知りませんが、かなりの司祭がSSPXの幹部の方針に反感を抱いたようです。このような対立があったとき、大切なことは創立者の意志を継続することではないでしょうか?



創立者ルフェーヴル大司教は、ローマの回心なくして合意はあり得ないし、合意した場合は自殺行為であるとしたわけですから、少なくともローマが、カトリック教会が継続してきた典礼、秘跡、教義、聖伝、信仰に立ち返るまでは、合意を行わないほうが正しいはずです。



しかし、総長フェレー司教と幹部たちはローマを救いたい、ローマをもとに再びカトリック教会を復興させたい、そのため、ローマに戻り、教会内で確かなポジションを得て、復興にあたるための方針へと転換したのかもしれません。さもなくば、創立者の意志に反してまでそのような行動に出ることはある意味自殺行為です。



このことは、2002年1月のカンポスでの聖ピオ10世会の公式声明に弱弱しく、どのような実りがあるのかを推移を見守るという声明にあらわれているように、聖ピオ10世会から離れたカンポスの動向を直視しているSSPX幹部は、機が熟したと判断したのでしょうか、教義的な合意を差し置いて、実務的合意が可能と判断したのでしょうか。



つい最近の記事の中で、カンポスに関するアンジェルス誌の質問に対して、次のようにフェレー司教が発言しています。

彼らは聖ピオ十世会の命脈に依存しています。これはもう明白です。現在、エクレジア・デイの使徒職の実りは教区司教たちの善意に完全に依存しています。教
区司教たちは聖伝のカトリック的生活を打ち立てるという、そういった方向への使徒職の可能性を限定することで、そのような強い真面目な望みを大幅に制限し
ています。エクレジア・デイの方々は第二バチカン公会議の新規なこと、世俗、そして新しいミサを[聖伝に]混ぜ込まなければなりません。これこそ、聖ピオ
十世会と "エクレジア・デイ" 傘下のグループとの大変大きな違いです。一部のグループは、徐々に私たちに近づいてきていると見ています。

つまり、結局はエクレジア・デイ傘下に入った場合、徐々に聖伝の中に新奇な事柄を注入させられる可能性があるということを示唆しており、実務的な合意はあり得ないことが判断できます。機は熟していないのです。すべてはローマ次第なのです。



しかし、総長のフェレー司教とSSPX幹部が、ルフェーヴル大司教の方針を捨てて、この実務的合意を望む意図があるのはなぜでしょうか?当然、部外者である管理人はわかりません。



ローマの幹部との交渉のテーブルにつき、SSPX幹部も負けじと狡猾に打ち負かそうとしているのでしょうか?それはあり得ないでしょう。実務合意に至っても、教義的に合意できるのかそんなことは不可能でしょう。



ローマ教皇庁はフリーメイソン員によって占められています。これは、バチカン内部とつながりのあるクラーマー神父のインタビュー記事で確認できます。ローマが回心することは本当にあるのでしょうか?ラサレットの聖母の預言のなかで、ローマにおいて失墜があることが語られていますし、また、ファティマの第3の秘密でも背教について語られていることを考えると、この時代は黙示録の時代であり、ローマの回心は困難を極めているということです。



SSPX幹部に秘策があるのか、残念ながら「ローマに騙された」というSSPX総長フェレー司教の言葉に要約されているように、教義的合意がなされずにローマとの合意はあり得ないのではないでしょうか。SSPX幹部は教義的合意なしでも実務合意が可能とする考えをやめ、追い出してしまったSSPX司祭を再び迎え入れたほうが良いし、同じ信仰を擁する立場として一致したほうが、ローマとの異質な一致よりもはるかに健全であるような気がします。



上記は、個人的な意見であり、何か間違った情報をもとに判断しているのでしたら、喜んで訂正をいたします。
















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